美濃市片知
美濃市洲原
洲原神社
洲原神社の社伝に、養老(ようろう)5年(721年)、越前の僧泰澄(たいちょう)の創建とある古社で、北濃の長滝神社、石徹白(いとしろ)の白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)とともに白山信仰の中心となった神社で、中世より近郷第一の規模をもつ大社です。近世からは、農耕の神として農民の信仰が厚く、遠近各地から洲原講による参拝者でにぎわっていました。
美濃市美濃町
伝統的建造物群保存地区

東西方向の二筋の街路と、南北方向の四筋の横町からなる目の字型が特徴です。

江戸時代に築かれたこの町は、地域性豊かな意匠や造形をもった伝統的な建造物が密度濃く残り、

特色ある歴史景観が保たれていることから、保存地区に選定されました。

美濃市港町
上有知川湊灯台
長良川畔の上有知川湊は、領主金森長近(かなもりながちか)によって開かれました。江戸時代から明治時代末年までこの地方の物資の流通、交通の中心として栄えていましたが、明治44年(1911年)電車の開通によって全く廃れてしまいました。現在では川畔に立つ高さ9メートルの長良川港灯台と舟着場への石段、舟運の安全を祈るため祀られた住吉神社、石灯籠(いしとうろう)などが残っています。交通の変遷と美濃市の歴史を語る貴重な史跡として灯台をふくむ一帯の地が県指定となっています。
藤原高光(ふじわらたかみつ)による妖鬼(ようき)退治伝説発祥の山であり、縁起(えんぎ)によれば、「瓢ヶ岳(ふくべがたけ)と名付け、禅定が峯(ぜんじょうがみね)ともいうとあります。標高1、163メートルで、全体的にはおだやかな姿を示し山頂は、10畳敷程の広さがあります。山腹は急斜面で流絞岩類(りゅうこうがんるい)のため岩石が露出し、けわしい姿となっています。
岐阜県美濃市安毛31-5 お問い合わせ 0575-33-0426
六角地蔵堂は、鹿宛寺(ろくおんじ)にある国指定の重要文化財で、鎌倉時代末から室町時代初期のものと推定される美濃市最古の建造物です。600年の歳月に耐えてきた姿は素朴な美しさが感じられます。室町期建造物として貴重な資料となっています。
美濃市の最高峰瓢ヶ岳(ふくべがたけ)に源を発する片知渓谷は、延長6キロに及ぶ自然美豊かな渓谷です。水源の池から流れ出た清澄(せいちょう)な水は、片知渓谷独特の景観を形造っています。また、巨石奇石の多いことでも知られています。片知渓谷一帯は奥長良川県立自然公園に指定されており、貴重な動植物の宝庫となっています。片知渓谷の水は、古くから人々の飲料水や、美濃和紙の水として使用されてきました。県の名水選定をきっかけとして地元住民による保全気運が高まりをみせています。
瓢ヶ岳
美濃市大矢田
美濃の名山、登山口までいずみ荘から車で7分
縦走 コースを歩く,誕生山、天王山
健康ウオーキング
登山と

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大矢田のもみじ 大矢田神社 
美濃市立花
鹿宛寺、六角地蔵堂
楓谷にはヤマモミジの巨木が多く、自然樹林をなすところとして国の天然記念物に指定されています。大矢田神社境内の楓谷(かえでだに)ヤマモミジ樹林や4基の窯跡(かまあと)が確認され国の史跡に指定されている丸山古窯跡などがあり、一帯の自然・史跡を散策することもできます。
天文(てんぶん)9年(1540年)佐藤清信(さとうきよのぶ)がすでにあった藤城を改築し鉈尾山城としたといわれています。関ケ原合戦後、この地は高山城主金森長近(かなもりながちか)に加領されましたが、上有知(こうづち)に小倉山城を築き移ったため鉈尾山城は廃城となりました。現在では山頂と山ろく一帯に広がる運動公園を結ぶ遊歩道が整備されています。
運動公園 --(5分)→ 毛鹿洞池 --(35分)→ 不動の岩・休憩所 --(20分)→ 頂上・鉈尾山城跡 --(15分)→ びょうぶ岩 --(5分)→ 休憩所 --(10分)→ 運動公園
昭和43年(1968年)、県から指定された小倉山緑地環境保全地域は、美濃市街地にあり、桜の名所「小倉公園」として有名で、市民の憩いの場となっています。江戸時代初期、領主金森長近(かなもりながちか)が小倉山城を築き、その後、城跡に上有知代官所(こうずちだいかんじょ)が置かれた歴史的な遺跡でもあります。現在は小倉公園となっており、1,000本近い桜が開花する4月上旬は、特にすばらしい景観です。
鉈尾山城  (古城山)
小倉山

片知渓谷